夫の料理
インフルエンザにかかった夫ですが、ほぼ快復しました。
同じ家にいるので、保菌者になってしまった私ですが、今のところ発病せずにいます。
ただ天気のせいなのか、体調がいまいち。
寒おこしに畑に行きたいところですが、1日行ったきりでなかなか行けません。
天気も良くないので、今週はおサボりの1週間です。
私が会社を辞める前まで、おもに夫が料理の係でした。彼の方が帰宅が早かったのでとても助かっていました。
男の料理はガス台が汚れるし、片付けながら料理をしないので、ちょっとストレスを感じますが笑、人が作ってくれる御飯は美味しいです。
ハンバーグです。見えませんね笑。
東日暮里の洋食屋、ニューマルヤさんの真似だそうです。
かた焼きそばの五目あんかけ。
キクラゲは旅行した時に、道の駅で買いだめしています。
カツカレー。
オムライス。
完全にB級グルメです。
強くなる自分
夫がインフルエンザA型にかかりました。
数日前から、ギーギーと不吉な呼吸をしていて、ただの風邪ではないだろうと思っていたので、検査結果を聞いた時は驚きませんでした。
肺機能が低下していたみたいで血中酸素が低くなり、それが原因なのか悪夢にうなされていました。
夫よ、がんばれ。
私は家族が稀少な病気にかかる家系なので、幼い頃から心を痛めていました。
なので、先が見える(完治する)病気に関しては、施す策があるという理由で動じなくなってきました。
もちろん、ギーギー呼吸している夫を可哀想に思っていますし、早く快復してほしい。奮発してウナギも買いました。スーパーの国産。
昨今、頑張ってねという言葉がタブーと言われるようになりましたが、ではそれ以外の言葉ってなに?
浮かびません。
個人的には、深読みしないで「うん頑張る」でいいのではと思っています。
だって、頑張るしかないものね。
強くなる自分とタイトルに付けてみましたが、そうでもして自分を奮い立たせないと、人は前に進めないのです。
寒おこし
冬の間、畑仕事はあまりないので、しばらくぶりに行こうと思うと、億劫で億劫で、たまりません。
もう延び延びに出来ないと思い、重い腰を上げて久しぶりに行った畑はひっそりしていました。
今日から春野菜に向けて、寒おこしです。
寒おこしとは、シャベルで土を深く掘り、寒気に当てることです。
これを行うと、土の中にいる害虫の卵やサナギ、雑草の種が凍死するそうです。
また昼と夜の温度差で、土がほくほく柔らかくなる効果も。
寒おこしすると、春夏野菜の育ち方が全然違うんですって。
一か月かけて、ボチボチやります。
今年から、異なる科の野菜の混植に挑戦します。
写真はソラマメと玉ねぎ。
それぞれに付く害虫の忌避効果、成長促進効果が期待できるそうです。
同じウネで、複数の野菜を栽培できるメリットもあるので、とても魅力的な栽培方法です。
早起きは偉い?すごい?
私は事あるごとに「早起きすること」を目標にしています。
季節の変わり目や、新年を迎えた最近とか(笑)。
あまり長続きしないことは自分がよく分かっているので、今年は起きる時間の幅を「2時間」と設けたところ、夫に「ずいぶん幅が広いね」と、笑われました。
だって、絶対何時に起きよう!と決めたのに、起きられなかった時の自己嫌悪は、その日をダメにしてしまうから。
ということで、起きられる範囲で去年より1時間〜2時間早く起きて、ゴソゴソ活動しています。
私の起床時間を人に話すと、驚かれます。
夜は9時〜10時に寝付くので、睡眠時間が極端に短いわけではありません。
早く起きたほうが、自分にとって良い事がたくさんあるので、そうしているのです。
朝のゴミ出しで、おばさんに中身をチェックされて睨まれることもないし、掃除もはかどるし。
私は欲張りな性格なので、1日でやりたい事がたくさんあります。だから、どうしても早起きしないと間に合わないのです。
早起きすると自分にメリットがあるのでそうしているだけですが、人はすごいとねとか、偉いとねか言うのが謎。
確かにヌクヌクしたお布団から離れるのは辛いけれど、偉いことではないよねーと、思うのであります。
悩ましい同窓会
2019年に、不思議な偶然がありました。
それは、小学校と高校の同窓会の招待があったことです。
しかも時を同じくして晩秋に。
都合がつかず、どちらも欠席しましたが、こういう事は重なるものなんですね。
想像するに、卒業後も頻繁に会っている同級生たちが思い立ったのかなと。
子育てがひと段落した人達も多くなり、そうだ、みんなで集まろうとなったのでしょう。
私が2つの同窓会を欠席した理由は、故郷が遠方であるからでもありますが、何となく「会ってどうしよう?」という気持ちのほうが強かったから。
懐かしい顔を見たら、昔話に花が咲くかもしれないし、行って良かったと思ったでしょう。
でもそれ以上に、幼少期や青春時代の過去(黒歴史w)を今更語りたくは無いなとも。
もう一度、会ってみたい友人は数人いるけれど、そうでない人もいるからね。いまだに。
同窓会の通知が届いてから、大昔の出来事を思い出す時間が多くなりました。
そして今、それぞれからLINEの招待があり、昔のつながりが再び紡がれようとしています。
もし本当に自分に必要で、会いたい人がいるならば、疎遠になることなく今でも繋がっているはず。
それが今のわたしに無いということは、相手も必要としていないのではないかなあと、深掘りしてしまいます。
と、すこしばかり2つの同窓会の真の意図がいまだ謎というか、訝しく思っていました。
高校の学年全体の同窓会からしばらく経ったある日、違うクラスで部活が同じだった友人からメールが届きました。
クラスの友人より、部活の友人と仲が良かった私は、その友人からメールがきたのは嬉しかったものの、やはり戸惑っています。
同窓会は悩ましい。
さて、どうなることでしょう。