普通の生活
父の命日で実家へ帰りました。
兄の家族も集まり、めいめいお寺に行ってお参りして、夜ごはんを食べるだけでした。
私たち兄弟は、仲がすごく良いというわけでもないし、かといって険悪というわけでもありません。
普通です。
でも、この「普通」になるには、長い時間がかかったと思っています。
父の看護で、兄弟にどうしても「差」がつきました。父と同居している次兄、関東に住んでいる兄とわたし。
昭和一桁の父を相手に、心と身体をすり減らし、わたしはいつも兄弟に対して「平等な父の看護」を求めていました。
それは絶対に無理ということが分かっていても。です。そう思わなければ気が済まなかったのです。
畑のこと、後継者のこと、土地のこと。
部外者の私の夫が間に入ってくれたこともありました。
そして3年前、不死身だと思っていた父は逝ってしまいました。
家のことを「ひとごと」に考えているノンキな長兄、言葉が足りない次兄、そして口やかましい気性の激しい長女(おりこ)。
結局、3兄弟が残っただけでした。
そして今、母の命日と父の命日に、静かにご飯を食べる「普通の生活」になりました。
ノンキな長兄は、みんなのためにお寿司を買ってきて、身内に「ありがとう」と言わない次兄は、わたしたち兄弟のために筍を採ってきてお土産にもたせ、畑のウドの天ぷらを揚げる。
わたしは父の残した畑に枝豆を植えて、8月に収穫して、みんなでお盆を過ごしたいと思っている。
2年前の父の一周忌で、おばに、「あなたたち兄弟を見ていると、あなたのお父さんは安心し天国にいったと思うわよ」
そう言われたいから、ガンバッテきたわけではないけれど、そう言われて、父が本当にそう思って旅立ってくれたらいいなと願っています。
普通の生活は実はむずかしい。でもそれに近づくために、苦しみながら日々精進しているのだなと、思いをはせるおりこでした。