花飯旅Book_おり子日月抄

シンプルでゆったりした人生を目指すも、実は難しい。日々の思いをつらつら綴っています。

偉人ほど語らない

f:id:muroga001:20190608053432j:plain

人をつかまえて、口の端っこに泡をためてしゃべりまくるバアサン。

 

会社のチャットで、いち早く噂話に食いついてくる後輩。

 

若かりし頃の武勇伝を、いつまでも語り続けるジイサン。

 

世の中の人って、どうして喋りたがるのだろう。あーいやだ。

 

でも、気持ちはわからなくもありません。

 

誰かに、「ただ聞いてもらいたい」んですよね。

 

 

春から新しい生活を始めて、私が心にずっしり重くのしかかったのは「言葉」でした。

 

「もっと勉強してださい」

「是非やってみてください」

「意識してください」

 

言葉遣いは丁寧だけれど、これらの言葉に潜む意味=プレッシャーに押しつぶされました。

 

おかげで、「ぜひ」と「意識」という言葉が大嫌いになりました(笑)

 

 

私の両親は、「勉強しなさい」と言ったことがない人たちでした。

 

当時、こどもに向けて「勉強しなさい」という事は「教育上よくない」というしつけの風潮があったからでしょうか(積み木くずしの時代)

 

おりこの両親は、テレビにかじりついている私に対して何も言わなかったけれど「勉強しなさいよ」と、きっと言いたかったんだろうなあと思います。

 

父さん、母さんごめん。

 

振り返ってみると、両親はもとより、私は人から「勉強しろ」と言われた記憶がありません。

 

それに近いようなことはあったとは思うけれど、思い出せないということは、プレッシャーをかけられたことがない人生を歩いてきたのかな。会社生活は別として。

 

それが50を目前にして、いきなり「勉強してください」を連呼されてごらんなさいよ、奥さん。

 

たまったもんじゃありませんでしたわ。

 

教えてくれる側の立場からすると、当たり前の言葉なのですが、人生でそんなことを言われたことのない人間には、非常に重くのしかかったわけですね。

 

正論を言われたり、理詰めで言われたり、話し手は簡単に考えている事でも、「自分が納得しないと」心が反発しました。

 

正しいことを言われても、為になることを言われても「攻撃」と受け取ってしまいました。

 

それで、ちょっとダウンしてしまったんですよね。このブログを留守にしていたのは、それが理由でした。

 

少し落ち着いてきたのでまた帰ってきました。

 

f:id:muroga001:20190608045502j:plain

 

きのう、3番目の農園へ行って、大急ぎで「落花生」のタネをまいてきました。

 

午後から雨になるという予報で、きっと梅雨入りだろうなと思いました。

 

農園は、誰もいませんでした。ちょっと人と喋りたくない気分だったので、内心良かったと思って、雨が降る前にせっせとタネをまいていました。

 

すると、先日大根をくださったお爺さんが、買ってきた肥料を置きにやってきました。

 

お会いするのは3回目なんだけど、なんか、もう普通に接してくれる。

私の菜園の入り口に立って、ニコニコ。

ズカズカ入ってこないのが、マナーなんだなと悟る。

 

お爺さんと少し立ち話をして、今度はモロヘイヤの苗をもらってしまいました。

 

種からまいたんだって。すごいなあ。

 

お爺さんは、「先が見えているから(ご自身の余命のこと)、来年は畑をやれるか分からないよ」と笑っていました。

 

ご年配の人と接すると、こんな時どういう言葉を返したらいいのかなって思うけれど、「そうですね」なんて言えないし、黙っているのも失礼だし。

 

でもお爺さんは、おりこに「同情」や「言葉」を求めてはいないんですよね。それが雰囲気でわかったので「このお爺さんは、気楽に接することができる」と思いました。

 

おりこ 「来年、スイカを作ってみたいので、教えてくださいね。」

 

おじいさん 「教えることなんてないよ。失敗して失敗して、ただただやってきただけだよ」

 

お爺さんのこの言葉にびっくりしました。

 

65年以上 農業をやってきたお爺さんの言葉が、「教えることなんてないよ」。

 

「本物の言葉」を、聞いた気がしたおりこでした。