偉人ほど語らない
人をつかまえて、口の端っこに泡をためてしゃべりまくるバアサン。
会社のチャットで、いち早く噂話に食いついてくる後輩。
若かりし頃の武勇伝を、いつまでも語り続けるジイサン。
世の中の人って、どうして喋りたがるのだろう。あーいやだ。
でも、気持ちはわからなくもありません。
誰かに、「ただ聞いてもらいたい」んですよね。
春から新しい生活を始めて、私が心にずっしり重くのしかかったのは「言葉」でした。
「もっと勉強してださい」
「是非やってみてください」
「意識してください」
言葉遣いは丁寧だけれど、これらの言葉に潜む意味=プレッシャーに押しつぶされました。
おかげで、「ぜひ」と「意識」という言葉が大嫌いになりました(笑)
私の両親は、「勉強しなさい」と言ったことがない人たちでした。
当時、こどもに向けて「勉強しなさい」という事は「教育上よくない」というしつけの風潮があったからでしょうか(積み木くずしの時代)
おりこの両親は、テレビにかじりついている私に対して何も言わなかったけれど「勉強しなさいよ」と、きっと言いたかったんだろうなあと思います。
父さん、母さんごめん。
振り返ってみると、両親はもとより、私は人から「勉強しろ」と言われた記憶がありません。
それに近いようなことはあったとは思うけれど、思い出せないということは、プレッシャーをかけられたことがない人生を歩いてきたのかな。会社生活は別として。
それが50を目前にして、いきなり「勉強してください」を連呼されてごらんなさいよ、奥さん。
たまったもんじゃありませんでしたわ。
教えてくれる側の立場からすると、当たり前の言葉なのですが、人生でそんなことを言われたことのない人間には、非常に重くのしかかったわけですね。
正論を言われたり、理詰めで言われたり、話し手は簡単に考えている事でも、「自分が納得しないと」心が反発しました。
正しいことを言われても、為になることを言われても「攻撃」と受け取ってしまいました。
それで、ちょっとダウンしてしまったんですよね。このブログを留守にしていたのは、それが理由でした。
少し落ち着いてきたのでまた帰ってきました。
きのう、3番目の農園へ行って、大急ぎで「落花生」のタネをまいてきました。
午後から雨になるという予報で、きっと梅雨入りだろうなと思いました。
農園は、誰もいませんでした。ちょっと人と喋りたくない気分だったので、内心良かったと思って、雨が降る前にせっせとタネをまいていました。
すると、先日大根をくださったお爺さんが、買ってきた肥料を置きにやってきました。
お会いするのは3回目なんだけど、なんか、もう普通に接してくれる。
私の菜園の入り口に立って、ニコニコ。
ズカズカ入ってこないのが、マナーなんだなと悟る。
お爺さんと少し立ち話をして、今度はモロヘイヤの苗をもらってしまいました。
種からまいたんだって。すごいなあ。
お爺さんは、「先が見えているから(ご自身の余命のこと)、来年は畑をやれるか分からないよ」と笑っていました。
ご年配の人と接すると、こんな時どういう言葉を返したらいいのかなって思うけれど、「そうですね」なんて言えないし、黙っているのも失礼だし。
でもお爺さんは、おりこに「同情」や「言葉」を求めてはいないんですよね。それが雰囲気でわかったので「このお爺さんは、気楽に接することができる」と思いました。
おりこ 「来年、スイカを作ってみたいので、教えてくださいね。」
おじいさん 「教えることなんてないよ。失敗して失敗して、ただただやってきただけだよ」
お爺さんのこの言葉にびっくりしました。
65年以上 農業をやってきたお爺さんの言葉が、「教えることなんてないよ」。
「本物の言葉」を、聞いた気がしたおりこでした。
父さんの長靴
友人の旦那様に、長靴を入れるフタ付きの箱を作ってもらおうと思って、見積依頼中。
絵心の無い私は、こんな絵しか描けない。
前から見た図。ボクシンググローブにしか見えません。自分で描いて、笑っちゃいました。
気を取り直して、もう一枚。
これはどうでしょうか。少しはイメージしてもらえそうかな。
夫の長靴は、父の形見。
実家に帰るたびに、父は太陽が昇る前からから畑へ行っていました。
もうすぐ父の命日。
私が野菜作りを始めたのを、天国からどう思って見ているのかなと思った朝でした。
さがる前にやろう。
春から本格的に畑仕事をするようになって、すこし変わったことがあります。
それは、「夜、自然に眠れるようになった」こと。
畑仕事、家事、家で始めた新しい仕事を精いっぱいやっていると、心配事がとおくなってきました。
心配事は相変わらず、何も解決もしていないし、変わっていないのですけれど。
自分が変わったんだなと。
器用に生きられたらいいなと思うんですけど、面倒くさい性分だといろいろ回り道をします。
5月は、結構調子のよい状態が続いていたので、この状態が下がるまでにいろいろ一生懸命やろうと思ってやってきました。
きっと、また下がるときがくるから。
それまでに、やれることはやろうと思った梅雨入り前の朝でした。