花飯旅Book_おり子日月抄

シンプルでゆったりした人生を目指すも、実は難しい。日々の思いをつらつら綴っています。

久しぶりに人と会う日

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農園の苺が受粉しなかったようで、なかなか実が付きません。

植木鉢で育てた苺(写真)のほうが、元気。

どんなに一生懸命がんばっても、自分の意に沿わない事ってあるのねと、苺に教えてもらう。

 

きょうは、1年ぶりに会社の同僚たちと東京で集まる日。

 

声をかけてもらうのは有難いけれど、ちょっと億劫と思ってしまうのも事実。

この一年、人と、接触をしていなかったので、うまく話すことが出来るだろうか。

ちょっと心配な、雨の朝。

すべてに意味はある

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先日から契約している市民農園

道が狭くて車が怖いので、車が通らない道を歩いてゆきました。

 

おりこ、道に迷う(-_-;)

 

まったく、どうかしていると、我ながらあきれました。

20分くらいロスして、農園に到着。

 

すると、農園にいた見知らぬオバサンが寄ってきて、「はい」と、大粒の苺を1個を差し出しました。

 

手が汚れているので、受け取るのをどうしようかと躊躇していると、口の中に入れられました(笑)

 

露地栽培とは思えない、立派で甘いイチゴでした。

ありがとう、オバサン。

 

もし、道に迷っていなかったら、農園でオバサンに会うこともなかったかもしれないし、イチゴを頂くこともなかったかもしれない。

 

そう思うと、20分ロスして、イライラしていたことを忘れました。

 

農園の枝豆が、2週間たっても芽が出ないので、再撒き(さいまき)してからの帰り道。

 

おりこ、もう一度、別の道をチャレンジ(意外に、こりない)。

 

すると、ちょっと見たことのある風景になったので、「あ~、この道に通じているのね」と、ほっとしながら歩いてゆくと、「貸し農園」の看板を発見。

 

農作業の恰好をしているので、しら~っと農園に入り、どんな農園か物色してみました。

 

プロっぽい作りをしている人たちはいなさそう。広いし、日当たりも良い。

水道も、トイレもある。

 

そして、いま契約している市民農園より、家から近い!

 

市民農園の契約は、来年の1月で終わり。

市の3か年事業で、畑を借りられるのは3年間なのです。

今年は最終年度。キャンセル待ちが回ってきたので、半年だけ契約したのです。

 

夏野菜の収穫がおわって、この農園に空きがあれば、電話してみよう。

 

家の近くで借りられる農園がないか、何年も探していて、こんなに近くにあったとは。

 

それもこれも、道に迷って20分ロスしたから。

 

そう思うと、すべてにおいて、自分がやっていることって意味があるんじゃないかなと、思うんですよね。

 

と、最近ポジティブに考えられるようになってきた、おりこでした。

人生の折り返し、何をしてゆこう?

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この一年、自分はどこに向っているのだろうと、ずっと思っていました。

会社員のときも、これから自分は何年働いて、退職したらその後どうなるんだろうと思っていたし、無職になった今も、どうなるんだろうと思っています。

 

根本の不安や、悩みが消えていないので、この気持ちは永遠に続くのかな。と、思います。

 

わたしの両親が、ふたりともこの世から旅立って、自分の人生も、確実に折り返しというか、終わりに近づいたんだなと思わずにはいられなくなった今、これから自分は「どうやって」生きていけば良いのか。と、毎日毎日考えながらの生活です。

 

 

またヨロシクお願いします

お久しぶりです。おりこです。

 

はてなブログを書いていなかった数カ月が、あまりにも疲れた日々を送っていたので、ここに帰ってきました。

 

はてなブログをやっていて、良かった・・・。

自分の気持ちを自由にトロできる場所だから。

 

 

またブログ始めます。よろしくお願いします。

父の味噌汁

父の味噌汁が異様に美味しかったのが、ずっとずっと謎だった。

美味しさは、信州の水と空気と新鮮な野菜のせいだと思っていた。

 

私が実家に帰ると、父は味噌汁と御飯を炊いて、朝ごはんを作ってくれた。

母が旅立った後、父はひとりで御飯を炊き、ひとりで味噌汁を飲んでいた。

他のおかずが要らないほど、父の味噌汁は美味しかった。

 

父の味噌汁がなぜ美味しかったか。数年たって私が料理の係になり、やっと判明した。

 

美味しさの正体は、油揚げだった。 

そういえば、父の味噌汁には、いつも油揚げが入っていた。

 

父は、冷蔵庫にモノがなくなることを嫌がる人だった。それは私の考えとは正反対だった。冷蔵庫に入っているものと同じものを、いくつもいくつも買う人だった。

私は実家に帰るたびに、賞味期限の切れた油揚げを、父の見えないところで処分した。

 

物をすてられない世代の人間だから、もったいないという精神のわりに、食べ物を無駄にしている。と、いつも思っていた。

私はものを大量に買い込む父がいやだった。

1つ、いや最低でも2つあればいいではないかと。

でも今はこう思う。父は、欲しいものがなんでも買える時代になり、真っ白く照りつける蛍光灯の光に平和を感じていたのではないかと。

父は、何もないガランとした家よりも、ものに囲まれていることで貧しかった戦時中を思い出さないようにしていたのではないか。

 

心の中がわからないまま、父は3年前に倒れ、結局家に帰ることが出来ずに、母のもとへ旅立ってしまった。

 

いまでも、私の実家の冷凍庫の中には、あのとき父が買った油揚げが1袋入っている。

あれだけ、ものが多かったことに嫌悪感をもっていたのに。私は捨てられないのだ。

 

自分で料理をするようになった今、私がよく使うようになった油揚げは、冷蔵庫(冷凍庫)にいくつあってもいいかなと思うようになった。

 

体調が悪くて、買い物に行きたくない時に、冷蔵庫に何もないと、辛いのだ。

 

ものは持たないほうが良いと、言われている世の中だけれど、それにとらわれ過ぎずに自分が辛くならない生き方をしようと、改めて考えている。

外面

しばらくぶりの投稿になると、何を書こうかな?と思ってしまいます。

 

お久しぶりです。おりこです。

台北に旅してまいりました。

 

旅のことをいろいろ書きたいなと思っているのですが、ちょっとエンジンがかからないので、いつか書ければと思っています。

 

最近、かばんの中に入れているもの。という他の方のブログを読んでいて、ふと思い出したことがありました。私の場合、お財布に必ず入れているものなのになるのですが、それは「絆創膏」です。昔、靴擦れになって痛い思いを始終していたので、外出先でしょっちゅう「絆創膏」を買っていました。おかげで家には絆創膏がたんまり。年を重ね、少しだけ学習し、いつも持ち歩いているお財布に絆創膏を入れるようにしました。結果、絆創膏は、この数年で時々ではありますが、役に立ってくれています。

 

私が絆創膏をお財布に入れているのは、もちろん自分のためなのですが、痛がっている人のためでもあります。ときどき、道の端っこで靴を脱いでかかとを見ている人々に遭遇します。そんなとき、「どーぞ」とか、ある時は"please"と言いながらすっと差し出して立ち去ります。最近も外国人の若いお母さんに「くつずれ?」と、日本語で聞いて二枚あげました。その時に相手の怪訝そうな顔が、驚きに変わり、ほころぶ瞬間が、幸せなんです。その日は、いいことしちゃった。と、一人いい気持ちに浸ります。

 

自己満足なのですが、自分にできる親切は絆創膏を差し出すことですw

 

ところで私は、どうしても身内に厳しくなってしまいます。

(過去には両親、今は夫がターゲット)

その理由がわからないまま今日まできてしまっています。甘えているのかなあ?

よくわかりません。

 

台湾人は日本人に対して親切ということをよく耳にしますよね。

実際行ってみて、それは本当に痛感しました。思い出すと、涙出そう。

私が本当にやらなければいけないのは、外国人、日本人という壁をなくして人に思いやることということを、思い直した旅でもありました。

 

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普段は飲まないビールですが、ところ変われば飲んでしまう不思議。